社会科副読本「いわみざわ」
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158開たくのころの栗沢開たくのころの家明治の終わりころの栗沢「大きい木がたくさんしげっているね。これじゃあ、昼でも暗そうだね。」「木の下には、クマザサもたくさん生えていて、畑を作るのが大変そうだよ。」「何を育てていたのかな。お米を食べ ていたのかな。」「開たくのころの家の写真を見ると、寒そうだよ。雪が積もったら、たおれてしまいそうだね。他にはどんな苦労があったのかな。」栗沢の地名 アイヌ語の「ヤム・オ・ナイ(クリの木の多いさわ)がもとになっています。そのころの食りょう 畑で育てたアワ、ダイズ、トウモロコシなどを食べていました。米は、正月やおぼんなどの時しか食べられませんでした。そのころの家のつくり 地面にあなをほって丸太を立て、ササやヨシで屋根とかべを作りました。ゆかはなく、地面にササや草をしき、その上にむしろをしいて、ね起きしました。栗沢の原野を切りひらく 開たくのころの栗沢は、どのような様子で、人びとはどのように生活していたのか、写真を見ながら話し合いました。

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